虎ノ門からプロレスのリングへ続く物語
高層ビルが林立する虎ノ門。その足元には、徳川の権威、明治の政争、そして戦後日本を熱狂させたプロレスの物語まで、時代の層が静かに重なっています。
420年の記憶をたどると、思いがけない場所に物語がつながっていきます。
江戸城の門と石垣が語る権力のかたち
虎ノ門という名は、かつての江戸城外郭(外堀)にあった虎ノ御門(とらのみもん)に由来します。
銀座線・虎ノ門駅8番出口近くには石碑が立ち、城の内外を分けた境界線を示します。
文部科学省の敷地には、1636年に三代将軍・徳川家光が築かせた石垣が残ります。総延長14kmにおよぶ天下普請と呼ばれる大事業。全国60の大名が自費で工事を担いました。
大名の財力を削ぎ、幕府の権威を誇示するシステム。日本の権力中枢 霞ヶ関に、いまも江戸の“支配の装置”が息づいていることに、歴史の連続性を感じずにはいられません。

虎ノ門遺址史跡

江戸城外堀跡石垣
虎ノ門事件が動かしたメディア史 正力松太郎と力道山
時は明治。司法卿(法務大臣)として日本の法制度を整えた江藤新平。この地で刺客に襲われましたが一命を取り留めます。
後年、江藤は政争に敗れ、故郷・佐賀で反乱を起こし逃亡。皮肉にも自らが導入した指名手配写真制度によって逮捕。法が力を持つ時代を象徴する出来事です。
1923年、昭和天皇(当時・摂政宮)が狙撃される虎ノ門事件が発生。この時、警備責任者として引責辞任したのが正力松太郎でした。
警察界を去った正力は、虎ノ門で創刊した読売新聞を再建します。戦後は日本初の民放テレビ局 日本テレビを設立。
テレビ普及のために街頭テレビを設置します。普及の切り札は力道山。敗戦に打ちひしがれた日本人にプロレスを通じて与えた夢と希望は、遡れば虎ノ門事件が起点となっていたのです。

江藤新平君遭難遺址碑

新聞創刊の地
虎ノ門の街を歩くとき、小さな石碑に目を向けてみてください。そこにあるのは日本の大きな転換点の入り口。いつもの通勤路が、少しだけ違って見えてくるはずです。

【虎ノ門遺址史跡】港区虎ノ門1-1-28
【江戸城外堀跡石垣】千代田区霞が関3-1-2
【江藤新平君遭難遺址碑】千代田区霞が関3-8-1
【新聞創刊の地】港区虎ノ門1−2-7
◯最寄り駅はすべて 東京メトロ銀座線「虎ノ門駅」
山田風太郎『人間臨終図鑑』(徳間書店)

