愛宕山と幻の名所 愛宕塔
愛宕神社でおなじみの愛宕山は、標高26m。23区で一番高い山です。1889年には、地上30メートル。煉瓦造りで八角形の愛宕塔ができました。東京の名所に数えられ当時の人気スポットとして賑わいました。
最上階の5階からは、望遠鏡越しに、日本銀行、ニコライ堂、浅草凌雲閣(浅草十二階)が一望できたそうです。しかし愛宕塔は1923年9月1日に発生した関東大震災で倒壊します。その跡地は、1925年に日本放送協会となり日本初のラジオ放送が開始されます。
東京タワーの誕生
1953年、NHKでテレビ放送が開始され、続いて日本テレビ、TBSと民間放送局が開局されます。各局は独自に電波塔を建てていましたが、一本化するために、東京タワーが建設されます。
東京タワーを建設する場所は、高台であること、各放送局に近いことから芝公園が選ばれました。東京タワーは、関東大震災から35年後の1958年に開業しました。高さはパリのエッフェル塔(300m)を凌ぐ333mです。
テレビの普及
東京タワーは、NHK愛宕山放送局鉄塔で実績のある内藤多仲(1886-1970)が設計を手掛けました。建設期間は1年半。約22万人が工事に携わりました。工期の短さは当時の技術レベルの高さを物語ります。
東京タワーの天辺には、NHKと民間放送局のアンテナが設置されました。全長80mのアンテナ設置は、タワー建設の最難関の工事であったそうです。
開業を一か月前に控えた11月27日、宮内庁が、当時の皇太子(現在の上皇陛下)である明仁親王(1933-)と(現在の上皇后陛下) 正田美智子さま(1934-)のご婚約を発表しました。ちなみに開業日は上皇陛下の誕生日である12月23日です。
翌年の1959年4月10日は、『世紀の祝典』0と謳われたご成婚の日です。この日は多くの国民がテレビに釘付けになりました。パレードの実況中継や慶祝番組は、テレビを普及させるきっかけになりました。
経済と都市の発展
東京タワーは、敗戦からの復興を遂げた象徴といわれます。高度経済成長時代を経て、世界有数の経済大国へ変貌します。それを支えたのがテレビをはじめとする自動車、カメラ、オーディオ機器などです。
1979年には、アメリカの社会学者 エズラ・ヴォーゲル(1930-2020)の『ジャパン アズ ナンバーワン』がベストセラーになり「メイドインジャパン」は、高性能高品質の代名詞となります。
1964年の東京オリンピックを契機に、東京では、都市開発が始まります。その象徴が赤坂六本木地区で行われた森ビルによる市街地再開発事業です。森ビルは、新橋の米穀商から不動産に進出した地元に根付く新興企業です。1967年、最初の土地取得から約20年後の1986年にオフィス、音楽ホール、商業施設、ホテル、レジデンスを兼ね備えた複合施設アークヒルズが完成しました。
変革と新たな展望
1990年代に入り、経済は翳りを見せます。バブル崩壊、不良債権、阪神大震災、オウム事件、リーマンショック、東日本大震災、コロナ禍と時代は混沌期を迎えました。
停滞打開の切り札として都市再生が始まります。その集大成が、森ビルが中心となり、港区の虎ノ門5丁目、麻布台1丁目および六本木3丁目の対象区域で進められてきた「虎ノ門・麻布台プロジェクト」です。
東京タワーの開業から65年。2023年11月24日に地上64階、330mの日本一高いビルをメインとする麻布台ヒルズが開業します。東京タワーとともに、都内の名所として注目されることでしょう。