明治の男は静かでアツいんだよ!
明治の終わり頃の話だけどさ、乃木希典(のぎまれすけ)さんって偉い軍人さんがいたんだよ。
明治天皇が亡くなった時、奥さんと一緒に後を追ってしまったんだねぇ。今じゃ考えられないことだけど、当時は「忠誠」ってものが何より重んじられた時代だったんだねぇ。
この乃木さんの殉死は、当時の人々にゃぁ、そりゃあもう大きな衝撃だったんだ。
あの夏目漱石先生も、この出来事をきっかけに「ああ、明治は終わったんだなぁ」って感じて、『こころ』っていう、ちょっと切ない小説を書いたんだよ。
でもね、先生もその翌年には亡くなってしまってね、大作の『明暗』ってのは、残念ながら未完になっちまったんだ。
人の世はままならないもんだねぇ。
乃木さんが自分で設計したお屋敷が、今も赤坂に残ってるんだよ。
そのお隣には、乃木さんご夫妻を祀ってる乃木神社があってね。
お二人は青山霊園に眠ってらっしゃんだ。あたしゃねぇ、一度、手を合わせに行ったことがあるんだよ。
なんだか曲がった背筋がピンと伸びるような、静かな場所だったねぇ。
場所は1種ロ10号26側だよ。迷わないでおくれよ。

若き日の仲代達矢さん走る!
さてさて、時は流れて、乃木さんご夫妻が亡くなってから40年後のことだよ。
昭和27年、1952年だね。乃木さんのお屋敷の横を通ってる外苑東通りを、六本木に向かって一生懸命走ってる若者がいたんだよ。
誰だと思うかい? そうさ、あの仲代達矢(なかだいたつや)さんだよ!
仲代さんはね、役者さんになりたくて体力をつけるために渋谷駅から六本木にあった俳優座養成所まで、毎日走って通ってたんだって!
若さってのは、すごいもんだねぇ。あたしゃ、とっくに息切れしちまうよ。
俳優座養成所に入ったのが1952年で、その2年後には俳優座劇場ってのができたんだね。
劇場は一度建て替えられて、2025年の4月には閉館しちまったんだってさ。なんだか寂しい話だけど、時代の流れってやつは、止まらないもんだねぇ。

日本を代表する名優、仲代達矢さんだよ!
俳優座を卒業して、晴れて俳優座に入座した仲代さんはね、小林正樹さんっていう映画監督さんに見いだされて、舞台だけじゃなくて、映画の世界でも大活躍するようになったんだよ。
小林さんだけじゃなくって、あの黒澤明さん、岡本喜八さん、五社英雄さんとか、日本を代表する名監督の作品には、引っ張りだこだったんだから、すごいもんだよ!
乃木大将も漱石先生も演じ分け!
仲代さんはね、乃木大将の役もやったことがあるんだよ。『二百三高地』って映画でね、たくさんの人が戦場で亡くなって、乃木さんがどれだけ苦しんだかってのを、もう魂込めて演じてくれたんだ。
それにね、『吾輩は猫である』では繊細な漱石さんのモデル苦沙弥先生を、それはもう見事に演じきったんだよ。すごい役者だよ!
まだまだ走る仲代さん
仲代さんね、若い頃、こんなことを言ってるんだよ。 「少しくらい醜くてもいい 長命でありたい。何とか生きながられて行きたいものだと無粋にも考えている」
90歳を過ぎても、今でも映画や舞台の第一線で活躍してるんだから、本当に頭が下がるよね。
2015年には文化勲章っていう、それはもう名誉な賞ももらってね。
夢を追いかけ続ける仲代さんの姿は、「よし、あたしのようなばあさんもまだまだ頑張るぞ!」って、元気をもらえるよね!
あんたたち、明治の男も、昭和の男も、今の時代に何かをちゃんと残してってくれてるんだよ。
乃木さんも、漱石さんも、仲代さんも、みんな“自分の美学”を生きた人たちさねぇ。
お兄さんも背筋伸ばして、ちゃんとこの時代を歩かなくちゃいけないよ!
いやだねぇ。あたしゃ、説教すら柄じゃないよ。まったく!次はどこに行こうかねぇ。

【旧乃木邸】港区赤坂8-11-32 最寄り駅 東京メトロ千代田線「乃木坂駅」
【俳優座劇場】東京都港区六本木4-9-2 最寄り駅 東京メトロ日比谷線「六本木駅」
仲代達矢『未完。』(角川書店)
山田風太郎『人間臨終図鑑』(徳間書店)
司馬遼太郎『坂の上の雲』(文藝春秋)
春日太一『仲代達矢が語る映画黄金時代 完全版』(文藝春秋)