「たいしたもんだよAIDMAは!」
寅さんは放浪の旅、消費者はカスタマー・ジャーニー
各地を放浪し神社やお寺のお祭りの縁日で、立て板に水のような啖呵売(タンカバイ)で、参拝客を魅了してモノを売るのが、みなさんお馴染みの”フーテンの寅”こと車寅次郎の生業です。
消費者の購買に至るまでの心理・感情・行動を時系列で可視化することを、旅になぞらえてカスタマージャーニーといいます。
消費者が商品を知ってから購入するまでの心理・感情・行動の3つの段階を
- Attention(注意):消費者が商品の存在を知る
- Interest(興味):消費者が商品に興味をもつ
- Desire(欲求):消費者が商品を欲しくなる
- Memory(記憶):消費者が商品を記憶する
- Action(行動):消費者が行動する
の5つのステップで表した購買モデルがAIDMAの法則です。
AIDMAの法則は、“消費者が商品購入に至るまでに、どう考え、どう行動するのか?”を時系列で表したカスタマー・ジャーニーの基本です。
寅さんは50年、AIDMAは100年
国民的映画シリーズ『男はつらいよ』の第1作が公開されたのは1969年8月27日です。“寅さん”は、人々に愛されて50年が経過しました。
AIDMAの法則は、1924年にサミュエル・ローランド・ホール(1876-1942)が、著書『Retail Advertising and Selling(小売広告と販売)」』の中で論じた購買モデルです。『男がつらいよ』の倍の100年近い歴史があります。
インターネットやスマートフォンが普及し、メディアも販売チャネルも消費行動も、すべてが1世紀前とは大きく異なります。しかしAIDMAの法則は、現在でも参考とされる基本的な購買モデルです。
ターゲットの心理・感情・行動の変化
消費者は、購買決定までのステップごとに心理・感情・行動が変化します。AIDMAの法則は、購買モデルの枠組みを超え、人間心理そのものに、ぴったりとフィットしていることがわかります。
買いたいと思う気持ちの裏に、別の気持ちがあり、さらに買わなくていいかなという反発する気持ちが芽生えたりと、人の心は”点”ではなく、いくつもの”表層”が複雑に重なり合っています。
寅さんの見事な啖呵売(タンカバイ)
シリーズ47作、1994年の『男はつらいよ 拝啓車寅次郎様』で寅さんが甥の満男に商売のコツを伝えるシーンがありました。
浅草の靴メーカーに就職して半年、靴が売れずに悩んでいる吉岡秀隆(1970-)扮する甥の満男に、何の変哲もない鉛筆を差し出して「満男、俺にセールスしてみな」と迫ります。
しぶしぶ満男は寅さんにセールスします。
満男の行動 | 満男のセリフ |
ターゲットにいきなり売り込む | おじさんこの鉛筆、買ってください。 |
機能のみの説明 | ほら消しゴムもついてますよ。便利ですよ。 |
お客を演じる寅さんは「いりませんよ。僕は字を書かないしそんなものは全然必要ありません。以上」と断ります。
今度は寅さんが満男に実演してみせます。
AIDMAにあてはめると | 寅さんのセリフ | |
A | 唐突な思い出話を始め「おふくろ」と「鉛筆」のギャップで聞き手の注意を引く | おばちゃん。おれは鉛筆を見ると、おふくろのことを思い出すんだ。 |
I | 自分の体験を語り 興味を惹き付ける |
不器用で鉛筆が削れない俺のために鉛筆を削ってくれたんだ。 (手振りで)ちょうどこの辺に火鉢があって、きちんとお袋が座ってさ。 白い手で肥後守(ナイフ)を持って「スイスイスイスイ」削ってくれるんだ。 その削りカスが火の中に入ると「プーン」といい香りがしてな。 おふくろが綺麗に削ってくれたその鉛筆で、俺は勉強しないで落書きばかりしていた。 でも鉛筆が短くなる分、利口になった気分だったよ。 |
D | ボールペンとの差別化で 欲望喚起 |
お客さん、ボールペンってものは便利だけど味わいってもんがない。 その点、鉛筆は握り心地が一番。 木の温かさ、六角形が指の間にきちんと収まる。 |
M | 書かせて記憶体験させる | ちょっと何でもいいから書いてごらんよ。 「スッ」と鉛筆を渡す。 |
A | お得な価格でクローズ | デパートだと60円するんだよ。でもちょっとけずってるから30円でいいよ。いや捨てたつもりだ20円でいいよ。ほらサイフを出しな。 |
そのまま買いそうになる満男。思わずサイフからお金を出し「伯父さん。参りました」と脱帽します。寅さんは物と同時に物語を売ります。寅さんが自分と正反対の道を歩み始めたネクタイ姿の満男に商売の心得を伝授するシリーズ屈指の名シーンです。
当時、重い病いに冒されていた渥美清(1928-1996)は医師の制止を振り切っての出演でした。声量は衰えましたが、往年から変わらぬ優しさの中に鋭さを秘めた眼差しからは、甥の成長を温かく見守る慈愛に満ちた父性が伝わります。
「“クルマを買う”とは「モノ」ではなくて「価値」を買うこと」も併せてご覧ください。
寅さんの啖呵売(タンカバイ)のような巧みな話術はとても素人には難しいですが、ターゲットの心理の変化を理解し、購買に至るまでのステップを意識すれば、自ずとアプローチが変化します。
小林信彦『おかしな男 渥美清』(新潮社)
山平重樹『ヤクザ大辞典』(双葉社)
厚香苗『テキヤはどこからやってくるのか? 露店商いの近現代を辿る』(光文社)