乃木坂 六本木で 名優仲代達矢の軌跡を辿る

乃木邸

若き日の仲代達矢

1912年9月13日午後8時、明治天皇御大葬の日。明治天皇の霊柩の皇居出立を告げる弔砲を聞きながら陸軍大将 乃木希典(1849-1912)と妻静子(1859-1912)は、赤坂の自邸で自刃します。

乃木夫妻の自刃から40年後の1952年。乃木邸沿いの外苑東通りを六本木に向けて走る若者がいました。この若者の名は、仲代達矢(1932-)です。仲代達矢は、役者修行のために渋谷駅から六本木の俳優座養成所までの道のりを走って通いました。

殉死と漱石の『こころ』

1902年に建てられた乃木自らの設計による乃木邸は現在も遺されています。乃木邸隣の乃木神社には乃木夫妻が祀られ、2人は青山霊園(墓所:1種ロ10号26側)に眠ります。

乃木夫妻の殉死は、当時の知識人に大きな影響を与えました。夏目漱石(1867-1912)もその1人です。明治を丸ごと生きた漱石は、1914年に明治という時代に訣別するために『こころ』を執筆しました。1916年12月9日、漱石は49歳で世を去ります。大作『明暗』は未完に終わります。

役者生活70年を迎えた仲代達矢

仲代達矢は、1952年に俳優座養成所に入所します。俳優座劇場は、1954年4月20日に開場しました。現在の劇場は1980年に建て替えられました。

1955年に俳優座に入座した仲代達矢は、映画監督 小林正樹(1916-1996)に見い出され、活躍の場を演劇から映画へ広げます。小林正樹をはじめ黒澤明(1910-1998)、岡本喜八(1924-2005)ら名匠の作品の常連俳優となります。

日本を代表する名優となった仲代達矢は『二百三高地』(1980)で、多くの戦死者を出した深い苦悩を表現し“人間・乃木希典”を熱演します。『吾輩は猫である』(1975)では、『吾輩は猫である』を執筆する直前の繊細な漱石(苦沙弥先生)を巧みに演じました。

少しくらい醜くてもいい 長命でありたい。何とか生きながられて行きたいものだと無粋にも考えている

2022年に役者生活70年を迎えた仲代達矢の若き日のことばです。2015年に文化勲章を受章し、現在もなお映画、舞台の第一線で活躍を続けています。


アクセス
  

【旧乃木邸】港区赤坂8-11-32 最寄り駅 東京メトロ千代田線「乃木坂駅」

【俳優座劇場】東京都港区六本木4-9-2 最寄り駅 東京メトロ日比谷線「六本木駅」

参考文献
 仲代達矢『未完。』(角川書店)

山田風太郎『人間臨終図鑑』(徳間書店)

司馬遼太郎『坂の上の雲』(文藝春秋)

春日太一『仲代達矢が語る映画黄金時代 完全版』(文藝春秋)