是清と蒼風
生涯を国家の安定に尽くした“だるま”こと高橋是清(1854-1936)。
そして生涯を美を極めることに捧げた“花のピカソ”こと勅使河原蒼風(1900-1979)。
道は違えど常識や既成概念に捉われず前進した2人。東京メトロ銀座線 青山1丁目駅から赤坂方向に歩いて5分の青山通り沿いには、2人が隣り合うスポットがあります。
“だるま” 是清の奮闘
1927年、日銀総裁、総理大臣を歴任し“だるま”の愛称で国民から親しまれた高橋是清は3度目の蔵相に就任します。
赤字国債の発行や片面だけを刷った200円札(日本銀行兌換券 乙200円)を銀行の店頭に積み預金者を安心させるなど数々の修羅場をくぐった是清ならではの大胆な施策で危機を乗り越えます。
1935年、経済を安定させた是清はインフレを防ぐために歳出削減を推し進めようとします。是清の目は突出する軍事費に向けられます。11月末の予算閣議で「国家の健全財政あっての国防」と軍部を説得し自らの信念を貫きます。しかし3カ月後の1936年2月26日の「226事件」で陸軍青年将校の凶弾に倒れます。
高橋是清の政策は、今日でも信頼の構築とリーダーシップの規範として評価されています。
是清が、1902年から1936年の「226事件」で暗殺されるまで暮らした邸宅は『高橋是清翁記念公園』として残されています。青山通りを挟んで赤坂御所と向かい合う公園は、中央の池が印象的な日本庭園です。
“花のピカソ“蒼風の革新
1927年、“だるま” 是清が昭和恐慌の収束に向けて奔走する中、勅使河原蒼風は、伝統的ないけばなに訣別して、青山で『草月流』を旗揚げします。
高橋是清が昭和恐慌の収束に向けて奔走する1927年。勅使河原蒼風は、伝統的ないけばなに訣別して、青山で『草月流』を旗揚げします。
後に映画監督として活躍する長男で、3代目家元となる勅使河原宏(1927-2001)が誕生した年でもあります。
蒼風の活動と海外進出
蒼風は、翌1928年に「第1回草月流展」を開催し、一躍注目を集めます。1930年には「新興いけばな宣言」を打ち出しますが、戦争が激化し活動は中断します。戦後、活動を再開した蒼風は、枯れ木や石や鉄材などを“いけばな”に用います。
草月流と家元制度
『草月流』を飛躍させたシステムが家元制度です。伝統的ないけばなに新たなアプローチを加える一方で、日本の美意識や価値観に対する敬意を示すことで、古い伝統と革新を結びつけ、『草月流』という独自のブランド価値を構築することができたのかもしれません。
蒼風は、1958年に会員の拡大に伴い草月流の拠点である草月会館を赤坂に建設し、いけばなの追求を続けます。
同時に「草月アートセンター」を発足させ、蒼風の長男勅使河原宏が中心的役割を担います。
1977年に旧草月会館を手掛けた丹下健三(1913-2005)の設計により建て替えられました。
ミラーガラスに覆われた外観は、隣接する高橋是清翁記念公園の緑と見事に調和しています。高橋是清翁記念公園では草月流とのコラボレーションで、さまざまなイベントが定期的に開催されています。
【高橋是清翁記念公園】港区赤坂7-2-21
【草月会館】港区赤坂7-2-21
◯最寄り駅はすべて 東京メトロ銀座線 半蔵門線「青山一丁目駅」
幸田真音『天佑なり 高橋是清・百年前の日本国債』(角川書店)
小笠原清、梶山弘子『映画監督小林正樹』(岩波書店)
友田義行『戦後前衛映画と文学: 安部公房×勅使河原宏』(人文書院)
山田風太郎『人間臨終図鑑』(徳間書店)