「商品をしてすべてを語らしめよ」資生堂初代社長 福原信三の理念

福原信三

福原信三(1833-1948)

資生堂初代社長、写真家

デザイン経営の先駆け

2022年に資生堂は創業150年を迎えました。資生堂の初代社長 福原信三はデザインという概念が世の中に広がる前から経営、技術、そして当時は意匠と呼ばれたデザイン。この三方に心を砕きました。

経営者である福原信三と意匠部員が共通の価値観を持ち、「女性の美の追求」と課題に向き合い資生堂という企業のブランド価値を高め、美の可能性を広げイノベーションを創出します。

資生堂は、デザインの力で自社のブランドの構築やイノベーションを推進する『デザイン経営』の先駆的存在です。

商品をしてすべてを語らしめよ

福原信三は1916年に、当時としては前列のない意匠部を立ち上げます。採用した若手芸術家に「商品をしてすべてを語らしめよ」と激励します。戦後は中條正義(1933-2021)らを輩出しました。

経営者のほかに写真家でもある福原信三は、自らポスター、新聞広告、パッケージデザイン、店舗設計などの陣頭指揮を執ります。おなじみのロゴ『花椿マーク』も福原信三のデザインです。福原信三は、資生堂の背骨である世界観と価値観を世の中に広めるため商品名、パッケージすべてに神経を注ぎました。

顧客志向を貫く「五大主義」

1921年、資生堂は「五大主義」という社業の基本理念を確立しました。

資生堂 五大主義
品質本位主義品質を生命とし、つねに最高水準を目ざす。
共存共栄主義近代的組織を基盤とし、相互繁栄を期する。
小売(消費者)主義消費者志向の経営に徹する。
堅実主義合理主義を根底とした科学的経営に徹する。
徳義尊重主義つねに相手を尊重し、正しく誠意ある経営に徹する。

この経営理念がデザインと一体になることで数々のヒット商品や時代を先取りした顧客本位のマーケティング戦略に結実します。

資生堂は、今日のマーケティングを先取りした施策を実施します。消費者・小売店・メーカーの共存共栄をはかるため、アメリカの制度を参考にした独自の『チェインストア制度』を1923年に発足しました。1924年には『資生堂月報』(『花椿』)を創刊します。美容・化粧情報を中心に文芸、カルチャー、ファッション、食文化や海外トレンドなど「時代の最先端を伝えるメディア」は、働く職業婦人と呼ばれる女性の心を捉えました。さらに現在のビューティーコンサルタントにあたる「ミスシセイドウ」や顧客組織「花椿会」へと昇華します。

モノを売ることのみを企む企業は

やがて相手にされなくなり、

滅亡していくだろう

福原信三は、化粧品事業のみならず芸術や文化支援活動にも力を注ぎます。1919年には『資生堂ギャラリー』を開設し多くの芸術家を輩出します。1928年には、池波正太郎(1923-1990)の『むかしの味』や『池波正太郎の銀座日記』でおなじみの洋食レストラン『資生堂パーラー』を開業します。

時代を超えて

日本は敗戦を迎え民主主義の時代を迎えます。男女平等の下で女性が活躍できる時代です。1946年、女性解放を描く黒澤明(1910-1998)の映画『わが青春に悔いなし』が公開されました。資生堂は、ヒロインを演じた原節子(1920-2015)を起用します。映画と同様に白いブラウスに身を包み微笑む原節子のビジュアルは、新しい時代の女性の象徴として大きな話題になりました。

1948年、福原信三は「女性の美の追求」の時代の到来を確信して世を去ります。翌年に、資生堂は東証に上場しました。

美しさとは、人のしあわせを願うこと。

創業150年を迎えた資生堂は『美しさとは、人のしあわせを願うこと。』をミッションに福原信三の思いを継承し世界で躍進を続けます。

参考文献
  • 和田博文『資生堂という文化装置』(岩波書店)
  • 川島蓉子『資生堂ブランド』(文藝春秋) 
  • 北村匡平『スター女優の文化社会学――戦後日本が欲望した聖女と魔女 』(作品社)