大河ドラマ誕生
1953年のテレビ放送開始から10年後の1963年、NHKは映画に負けない作品を目指した本格時代劇『大河ドラマ』をスタートさせます。
新虎エリアには、2023年に放送から60年を迎える『大河ドラマ』ゆかりのスポットがあります。
1925年に日本初のラジオ放送が行われた東京放送局の跡地には、NHK放送博物館があり、大河ドラマをはじめ紅白歌合戦、朝の連続テレビ小説など放送史に残る番組の資料が展示されています。
大河ドラマ第1作『花の生涯』
1963年4月7日に大河ドラマの記念すべき第1作『花の生涯』がスタートしました。
この作品では、主人公井伊直弼を二代目尾上松緑(1913-1989)が演じ、家臣の長野主膳を佐田啓二(1926-1964)が演じました。当時、歌舞伎界の重鎮や映画界の人気スターがテレビに出演することは異例でした。
物語のクライマックスでは1860年3月3日、18人の水戸浪士が愛宕神社で本懐成就の祈願を行い雪の降りしきる中、桜田門へと向かいます。そして井伊直弼は水戸浪士の凶刃に倒れます。
さて、井伊家自慢の甲冑を赤色で整えた“井伊の赤備え”は武勇の象徴とされています。
彦根藩の藩祖 井伊直政(1561-1602)が戦国最強の騎馬軍団として恐れられた“赤備え”を支えた山県昌景(1524-1575)の遺臣を召抱えたことが起源です。ちなみに井伊直弼は彦根藩の15代藩主にあたります。
『花の生涯』から25年後の第26作『武田信玄』(1988年)では、佐田啓二の長男である中井貴一(1961-)が“赤備え”ゆかりの武田信玄(1521-1573)役を務めました。
NHKのプロデューサー 村上慧(1939 -2018)は親子2代にわたり出演交渉を行ったそうです。
山県昌景役の篠田三郎(1948-)は、1977年の『花神』で「安政の大獄」で井伊直弼によって処刑される吉田松陰(1839-1859)を熱演をします。
「おのおの方 討ち入りでござる」
大河ドラマ第2弾は『赤穂浪士』では忠臣蔵が登場します。主役の大石内蔵助役には時代劇の大スター 長谷川一夫(1908-1984)が映画界から招かれました。
長いキャリアを誇る長谷川一夫は、映画『忠臣蔵』(1958年)で初めて大石内蔵助を演じました。当時50歳だった彼は、若き日に浅野内匠頭を演じたことを思い、「自分はもう浅野内匠頭ではなく大石内蔵助なのだ」と自覚した逸話があります。
6年後の『赤穂浪士』でも、重厚な演技で視聴者を魅了し「おのおの方」というセリフは流行語になります。
忠臣蔵で描かれる討ち入り事件は、元禄14年3月14日、江戸城松の廊下での赤穂藩藩主 浅野内匠頭長矩(1667-1701)の吉良上野介(1641-1703)への刃傷が事件の発端です。
真相については、1937年に長谷川一夫が顔を斬られた刃傷事件と同様、謎に包まれています。
新虎通りと日比谷通りが交差する新橋4丁目交差点脇にあるのが「浅野内匠頭終焉之地」の碑です。
浅野内匠頭 は1701年3月14日午前10時頃、松の廊下で吉良上野介に斬りかかり、8時間後の午後6時に田村右京大夫の屋敷で切腹させられます。吉良家は何らの咎めも受けず、一方的に浅野家は後に廃絶となったことから、主家を失った赤穂浪士による討ち入りを招くことになります。
【NHK放送博物館】港区愛宕2-1-1 〈開館時間〉午前10時~午後4時30分毎週月曜日休館(祝除く)
【愛宕神社】港区愛宕1-5-3
◯最寄り駅 東京メトロ日比谷線「神谷町駅」
【浅野内匠頭終焉之地】港区新橋4-3-1
◯最寄り駅都営三田線御成門駅
一坂太郎『暗殺の幕末維新史』(中央公論新社)
春日太一『大河ドラマの黄金時代』(NHK出版)
中川右介『市川雷蔵と勝新太郎』(角川書店)
山田風太郎『人間臨終図鑑』(徳間書店)
山田風太郎『明治かげろう伝』(小学館)
山田風太郎『笊ノ目万兵衛門外へ』(河出書房新社)
筒井康隆『将軍が目覚めた夜』(新潮社)
池宮彰一郎『四十七人の刺客』(新潮社)
港区産業・地域振興支援部『港区歴史観光ガイドブック』(港区)
新正堂菓子「切腹最中」しおり