新虎で『大河ドラマ』ゆかりの地を巡る

1960年代の高度経済成長の象徴がテレビです。人々の暮らしは豊かになりテレビが普及するにつれ番組の充実が求められました。

テレビが“電気紙芝居”と軽視されていた時代に、“映画に負けない作品”を目指し企画された番組が、まもなく制作60周年を迎える『NHK大河ドラマ』です。グルメやカルチャーでも注目を集める新虎エリアには『大河ドラマ』ゆかりのスポットがあります。

『NHK放送博物館』
 1925年に日本初のラジオ放送が行われた東京放送局の跡地にはNHK放送博物館があります。

放送の黎明期から大河ドラマをはじめ紅白歌合戦、朝の連続テレビ小説などテレビ史に残る資料が展示されています。

愛宕神社
 NHK放送博物館の隣には、愛宕神社があります。

『NHK大河ドラマ』の第1作『花の生涯』の主人公井伊直弼は1860年3月3日、桜田門外の変で水戸浪士の凶刃に倒れます。水戸浪士は、愛宕神社で“本懐成就”の祈願を行い雪の中、桜田門へと向かったのです。

「浅野内匠頭終焉之地」
 『NHK大河ドラマ』の第2作は、忠臣蔵を描いた『赤穂浪士』です。

新虎通りと日比谷通りが交差する新橋4丁目交差点脇にあるのが「浅野内匠頭終焉之地」の碑です。浅野内匠頭 は1701年3月14日、江戸城松の廊下で吉良上野介に斬りかかり、田村右京大夫の屋敷にて即日切腹となりました。

大河ドラマ第1作『花の生涯』

『NHK大河ドラマ』の記念すべき第1作が、井伊直弼の生涯を描いた『花の生涯』です。井伊直弼を二代目尾上松緑(1913-1989)、家臣の長野主膳を佐田啓二(1926-1964)が演じます。当時、歌舞伎界の重鎮や映画界の人気スターがテレビに出演することは異例のことでした。

クライマックスの「桜田門外の変」は、スタッフの粘り強い交渉の末、京都・太秦の東映撮影所の「東映城」のオープンセットを借りて撮影が行われました。映画界にとってテレビは敵対するメディアであり、映画の撮影所にテレビカメラが入ることは常識では考えられない時代です。テレビと映画のスタッフが一つになり撮影が進みます。「桜田門外の変」が登場する第37回『君消ゆる』(1963年12月15日)は30%を超える高視聴率を記録しました。

さて井伊家といえば甲冑を赤色で整えた精鋭部隊“井伊の赤備え”が有名です。“井伊の赤備え”は武田家滅亡後に、信玄が擁した赤い甲冑を纏った戦国最強の騎馬軍団“赤備え”を支えた山県昌景(1524-1575)の遺臣を、彦根藩の藩祖 井伊直政が召抱えたことが起源です。1988年の『武田信玄』では『花の生涯』の放映後に若くして世を去った佐田啓二の長男中井貴一(1961-)が主役の武田信玄(1521-1573)役を務めました。山県昌景には1977年の『花神』では「安政の大獄」で井伊直弼に処刑される吉田松陰(1839-1859)を熱演した篠田三郎(1948-)が演じています。

愛宕神社にも“武勇”を伝える逸話があります。参道に向かう石段は、講談「寛永三馬術 出世の春駒」でお馴染みの曲垣平九郎(生没年不詳)にちなみ“出世の石段”の名で知られています。傾斜角度約40度の石段を、無名の丸亀藩士曲垣平九郎が馬で駆け登り山頂に咲く梅を家光に献上し、“馬術の名手”として、その名を轟かせ出世したことが由来です。

大スター長谷川一夫と大石内蔵助

翌年1964年の大河ドラマ第2弾は『赤穂浪士』です。“白い雪に陣太鼓の音”。お馴染み“忠臣蔵”が満を辞しての登場です。主役の大石内蔵助には長谷川一夫(1908-1984)が映画界から招かれます。

長谷川一夫は、1958年の映画『忠臣蔵』で大石内蔵助を演じました。当時、長谷川一夫は「自分には浅野内匠頭が向いている」と思いました。しかし長谷川一夫は50歳。俳優の序列を考えれば、大石内蔵助をやるしかありません。浅野内匠頭は、将来を嘱望される若手に振られる役です。浅野内匠頭には市川雷蔵(1932-1968)が抜擢されました。この時、長谷川一夫は「自分はもう浅野内匠頭ではなく大石内蔵助なのだ」と自覚します。

6年後の大河ドラマ『赤穂浪士』では堂々と大石内蔵助を演じました。スクリーンと異なりテレビの画面は小さく解像度も低いため、加齢による容貌の衰えを気にせず顔のクローズアップにも耐えられます。映画演劇界のスターの競演により人気を博し赤穂浪士の討ち入りが1964年11月22日に放送された47回『討ち入り』は、53%の高視聴率を記録しました。

“忠臣蔵”は、元禄14年3月14日、江戸城松の廊下で赤穂藩主 浅野内匠頭長矩(1667-1701)は、吉良上野介(1641-1703)に斬りかかったことが事件の発端です。刃傷の理由については、様々な推測や憶測が取り沙汰され、1937年に長谷川一夫が顔を斬りつけれられた刃傷事件と同様、真実は謎に包まれています。

浅野内匠頭は、殿中にて取り押さえられ、その日のうちに芝愛宕下にあった陸奥一関藩主・田村右京太夫建顕(1656-1708)の屋敷にお預けの身となります。時の五代将軍 徳川綱吉(1664-1709)は、「喧嘩両成敗」の法を無視して浅野内匠頭の切腹と赤穂藩の改易を即決します。吉良家には何らの咎めも受けず、一方的に浅野家は後に廃絶となったことから、後年、主家を失った赤穂浪士による討ち入りを招くことになります。浅野内匠頭が切腹をした田村家の屋敷があった場所に、店を構えるのが1912年創業の老舗和菓子店『新正堂』です。1990年に発売した『切腹最中』が大ヒットし、地元を代表するお菓子として人々に愛されています。

アクセス
  

【NHK放送博物館】港区愛宕2-1-1 〈開館時間〉午前10時~午後4時30分毎週月曜日休館(祝除く)

【愛宕神社】港区愛宕1-5-3

◯最寄り駅 東京メトロ日比谷線「神谷町駅」

【浅野内匠頭終焉之地】港区新橋4-3-1

◯最寄り駅都営三田線御成門駅

参考文献
 

一坂太郎『暗殺の幕末維新史』(中央公論新社)

春日太一『大河ドラマの黄金時代』(NHK出版)

中川右介『市川雷蔵と勝新太郎』(角川書店)

山田風太郎『人間臨終図鑑』(徳間書店)

山田風太郎『明治かげろう伝』(小学館)

山田風太郎『笊ノ目万兵衛門外へ』(河出書房新社)

筒井康隆『将軍が目覚めた夜』(新潮社)

池宮彰一郎『四十七人の刺客』(新潮社)

港区産業・地域振興支援部『港区歴史観光ガイドブック』(港区)

新正堂菓子「切腹最中」しおり