勝海舟と円谷英二  “1868〜1968”にタイムトラベル

江戸城明け渡しの大仕事を成し遂げた勝海舟(1823-1899)は、赤坂に暮らし、旧幕臣の生活を支え、逆賊とされた盟友西郷隆盛の名誉回復に尽力します。

円谷英二(1901-1970)は、テレビという新しいメディアに注目し、赤坂のTBSから「空想特撮ドラマ」『ウルトラマン』をお茶の間に届け大ブームを起こします。

『勝海舟邸跡』
  勝海舟は、1859年から1868年までの激動の時代をこの地で過ごしました。

1872年に再び赤坂に戻ります。

『TBS放送センター』
 TBSの建つ場所は、戦前は陸軍の近衛歩兵第三連隊でした。平和を切望した海舟が愛した赤坂には軍の施設が立ち並ぶ「陸軍の街」となった歴史があります。

TBS放送センター脇のウルトラマン像。ウルトラマンシリーズ誕生40周年記念作品『ウルトラマンメビウス』です

江戸を戦火から救った海舟

1853年、アメリカのペリー(1794-1858)が艦隊を率いて浦賀に来航し幕府は動揺します。京都では人斬りが横行し、愛弟子坂本龍馬(1836-1867)も非業の死を遂げます。将軍慶喜は朝敵となり、大政奉還を巡り戊辰戦争が勃発します。

勝海舟の尽力で江戸城無血開城。新政府が樹立され、意見が合わず下野した西郷隆盛(1828-1877)は西南戦争で城山で自刃。勝海舟が生きた時代は「激動の時代」です。

長い雌伏を経て勝海舟の活躍が始まるきっかけが黒船来航です。政局不安が続く中、ペリーの来航に幕府は狼狽し、時の幕府老中阿部正弘(1819-1857)は海防に関する意見を広く求めます。勝海舟の「海防意見書」が幕府の目に留まり、長い雌伏を経てここから勝海舟の活躍が始まります。

1860年、咸臨丸の艦長として初めての太平洋横断往復に成功します。アメリカから帰国すると、勝海舟は「軍艦奉行並」に就任。「神戸海軍操練所」を開設し海軍軍人の育成に注力しました。ここで学んだ伊東祐亨は、日清戦争で初代連合艦隊司令長官として、黄海海戦で勝利。黄海の制海権を抑え日本の勝利に貢献します。後に海軍大臣となる山本権兵衛も勝海舟の薫陶を受けます。

生死を度外視する決心が固まれば目前の勢いをとらえることができる

難局に必要なことはこの決心だけだ

勝海舟の最大の功労は1868年3月の江戸城無血開城です。大政奉還後、将軍家への処遇に不満を抱く旧幕府軍が新政府軍と京都で衝突します。「鳥羽・伏見の戦い」に始まる1年半に及ぶ戊辰戦争です。1868年3月、官軍の江戸城総攻撃を前に、幕府の代表として新政府の西郷隆盛と談判を重ね、無血開城を決め江戸の街を戦火から救います。あの咸臨丸も数奇な運命を辿ります。戊辰戦争に参戦後、開拓使の輸送船となり、1871年9月9日、航海中に荒天に遭い沈没します。

海舟は、明治政府の中で、旧幕府勢力の筆頭としてとしての発言力を確保して海軍大輔(かいぐんたいふ)や「参議兼海軍卿、外務大杼(がいむたいじょう)などの重要ポストを歴任します。政府を去った後も、多大な発言力がありました。

富国強兵を推進する日本。1894年の日清戦争に反対します。1899年に勝海舟は「これでおしまい」という言葉を遺して残して亡くなります。以後、日本は勝海舟が祈念した平和に逆行して軍国の道を歩みます。

戊辰戦争の激戦地で生まれた円谷英二

勝海舟が亡くなって2年後の1901年、円谷英二が誕生します。円谷英二の生まれた町、福島県須賀川は戊辰戦争の激戦の地です。

あのウォルト・ディズニー(1901-1967)と同年の生まれた円谷英二は、1919年、カメラマンとして映画界に入ります。

撮影技術研究所主任として、東宝の前身J Oトーキーに移籍し、特殊技術を追求します。ところが当時の映画人には特撮の価値が理解されず”ズボラヤ“と呼ばれ冷遇されます。

不遇が続く円谷英二に転機が訪れます。1941年は子母澤寛(1882-1968)の名作『勝海舟』の連載が始まった年です。この年の12月8日、日本はアメリカに宣戦布告します。勝海舟が育てた海軍の連合艦隊はハワイの真珠湾を目指します。

円谷英二が真価を発揮した作品が、真珠湾攻撃とマレー沖海戦を描いた1942年の映画『ハワイ・マレー沖海戦』で円谷英二は真価を発揮します。実写と見まがうような描写が話題となり、日本映画界に特撮の重要性を知らしめました。

ところが戦後、戦意高揚映画に加担したとして、円谷英二は、公職追放の憂き目に遭います。1954年、53歳の時に、日本初の本格特撮怪獣映画『ゴジラ』で復活します。リアリズムを追求する本多猪四郎(1911-193)の映像を支えます。本多猪四郎との名コンビで、“東宝特撮”を不動のものとします。

空想特撮ドラマ『ウルトラマン』誕生

やがて映画は斜陽を迎えます。円谷英二は1963年に円谷特技プロダクションを設立し、テレビの世界に活路を見い出します。舞台は赤坂のテレビ局TBSです。

勝海舟の元に坂本龍馬、山本権兵衛らが集ったように、円谷英二の元には、TBSの実相寺昭雄(1937-2006)、飯島敏宏(1932-2021)、デザイナーの成田亨(1929-2002)、脚本家の金城哲夫(1938-1976)ら多くの可能性を秘めた若者が集結します。飯島敏宏は、円谷英二と出会う前に勝海舟親子を描いたドラマ『父子鷹』の演出補を務めました。

1966年1月2日、TBSで『ウルトラQ』が放映されました。7月には満を持して『ウルトラマン』が登場します。「変身する巨大ヒーロー」というコンセプトのキャラクターは、怪獣ブームを巻き起こします。1967年5月14日、今上天皇(1960-)は、初めての街でのお買い物で『図解怪獣図鑑』を購入されました。

世の中に特撮が認知され、ズボラヤと映画人から揶揄された「円谷英二」の名は大衆に知れ渡り「特撮の神様」と呼ばれます。

観ている人に驚きを与え、その驚きを糧に平和や愛を願う優しさを、そして未来に向かう希望を育んでもらいたい

明治維新から100年目の1968年に円谷特技プロダクションを、円谷プロダクションに社名変更しました。

1970年、円谷英二は世を去ります。しかしウルトラマンやゴジラは「これでおしまい」ではありません。『シンゴジラ』や『シンウルトラマン』は大ヒットし、Netflixでは『ULTRAMAN』がアニメになって世界に配信されています。

アクセス
  

【勝海舟邸跡】港区赤坂6-10-41

【TBS放送センター】都港区赤坂5-3-6

◯最寄り駅はすべて 東京メトロ千代田線「赤坂駅」