勝海舟と円谷英二  1868年から1968年にタイムトラベル

平和を願う気持ちと未来を見通す力

今日はね、アタシが江戸の終わり頃に日本の未来を変えちまった勝海舟と、怪獣だのヒーローだの、とんでもない世界を作った円谷英二の話をしてやろうじゃないか!

全然違う時代に生きた二人だけどね、実は「みんな仲良くしたい!」っていう気持ちと、「これからどうなるか見通す力」でつながってるんだよ。

さあ、アタシと一緒に、街をぶらぶら歩きに出かけるとしようかね!

江戸の町を救った英断

幕末の日本ってのはね、それはもう嵐の海に浮かんだ、小舟みたいにグラグラした時代だったんだよ。

そんな中で、勝海舟さんって人が、それはもうすごい活躍をしたんだ!

海舟さんってば、日本人で初めて太平洋を船で渡っちまったり、これから船乗りになる若物を育てる学校を作ったり、それはもう輝かしい手柄がいっぱいあるんだよ。

でね、海舟さんが晩年を過ごしたのが赤坂さね。

でね、海舟さんの手柄の中で一番すごいって言われてるのが、1868年の3月にやった江戸城の無血開城ってやつなんだ!

あの戊辰戦争の真っ只中だよ。新しい政府の軍隊と、古い幕府の軍隊が、今にもドンパチ始まりそうで、江戸の町が火の海になっちまいそうだったんだ。

そこで海舟さんってば、古い幕府の代表として、新しい政府の偉い人、西郷隆盛さんと、何度も何度も話し合いを重ねたんだってさ。

そしてね、ついに「もう戦うのはやめて、お城を開けよう!」って決断したんだ! おかげで、江戸の町は戦火から逃れることができたんだよ。

もしこの決断がなかったら、今の東京ってのは、全然違う姿になっていただろうねぇ。

そりゃあ、このアタシも生まれていなかったかもしれないよ!

江戸城が開かれてから、京都から天皇様をお迎えして、江戸は「東京」って名前に変わったんだ。こうして日本は、新しい時代へと、よちよち歩き始めたんだよ!

1899年、海舟さんは「これでおしまい」って言葉を遺して、この世を去っちまったんだ。

海舟さんが人生の最後に心から願った「平和」とは裏腹に、日本は戦争する国へと進んでいってしまったんだから、皮肉なもんだねぇ。

特撮の神様の未来を映す力

海舟さんが亡くなってから2年後の1901年、あの戊辰戦争の激しい戦いがあった福島県の須賀川ってところで、特撮の神様って呼ばれた円谷英二さんが生まれたんだよ。

ちなみに、円谷さんってば、あのミッキーマウスのウォルト・ディズニーさんと同じ年に生まれてるんだから、なんだか運命ってやつを感じるねぇ。

円谷英二さんはね、1919年にカメラマンとして映画の世界に入ったんだけど、自分がやりたかった「特殊な技術(特撮)」ってのが、なかなか周りに理解されなくて、それはもう苦労の連続だったってさ。

そんな円谷さんに、やっとチャンスが巡ってきたのは、歴史小説の大家、子母澤寛先生が書いた小説『勝海舟』の連載が始まった1941年のことさ。

その年の12月8日、日本はハワイの真珠湾を攻めちまったんだ。

皮肉なことにね、それは勝海舟さんが一生懸命育てた海軍が、ハワイを目指すことになっちまったんだから、なんだか世の中ってのは面白いもんだねぇ。

真珠湾攻撃だの、マレー沖の海戦だのを描いた映画『ハワイ・マレー沖海戦』(1942年公開)で、円谷さんは自分の力を思いっきり発揮したんだ。

円谷さんが作った映像は、まるで本物みたいだって、みんな特撮のすごさに度肝を抜かれたんだとさ!

戦争が終わった後の1954年、53歳になった円谷さんは、日本で初めての本格的な怪獣映画『ゴジラ』で、本当にリアルな映像を追求した本多猪四郎監督、通称イノさんの映画作りを支えたんだよ。

このイノさんとの名コンビは、「東宝特撮」っていう、新しい映画のジャンルを作り上げて、Honda & Tsuburayaって、海外でも有名になったんだから、まるで勝さんと西郷さんみたいだねぇ!

空想特撮ドラマ『ウルトラマン』誕生

でも、でもねぇ、映画ってのがだんだん下火になっちまって、円谷さんは新しい道を探したんだ。

1963年には円谷特技プロダクションっていう会社を作って、テレビの世界に活路を見出したんだよ。

円谷さんの新しい舞台が、ここ赤坂にあるTBSさね!

1966年の1月2日、初めての空想特撮ドラマ『ウルトラQ』が放送されると、あっという間にお茶の間の人気者になっちまったんだ!

同じ年の7月にはね、満を持して「デッカいヒーローが変身する」っていう、それまで誰も考えつかなかった、新しいアイデアの『ウルトラマン』が登場したんだよ!

『ウルトラマン』の第37話「小さな英雄」ってのは、なんと42.8%っていう、そりゃあもうびっくりするほど高い視聴率を記録したんだから、あたしゃテレビにかじりついて見てたもんだよ!

明治維新から100年後の1967年5月14日、まだ小さかった今の天皇様が、日本橋の髙島屋さんで初めてのお買い物で、『図解怪獣図鑑』を買ったっていうニュースが報じられたんだとさ。

皇室の方々が、ぐっと身近に感じられる話だろ? このニュースがきっかけで、特撮ってものが世の中に広く知られるようになって、円谷さんの名前は一気に有名になり、みんなから「特撮の神様」って呼ばれるようになったんだ!

1970年に円谷さんは亡くなっちまったけど、円谷さんが生み出した特撮の文化は、今でも世界中の人に愛され続けてるんだから、本当にすごいもんだねぇ。

勝海舟さんと円谷英二さん。時代は全然違うけれど、未来をもっと良くしたいっていう、それはもう強い気持ちと、それを叶えるための新しいアイデアや挑戦がいっぱいだったってことが、わかったかい?

この2人の物語から、あんたたちも新しいことに挑戦する勇気をもらえるだろ?

さあ、あんたも何か新しいこと、始めてみるかい?

アクセス
  

【勝海舟邸跡】港区赤坂6-10-41

【TBS放送センター】都港区赤坂5-3-6

◯最寄り駅はすべて 東京メトロ千代田線「赤坂駅」