鉄道をビジネスに変えたイノベーター小林一三と五島慶太

小林一三(1873-1957)

阪急東宝グループ(現:阪急阪神東宝グループ)創業者、第20代商工大臣、初代戦後復興院総裁、貴族院議員

五島慶太(1882-1959)

東急グループ創業者、第2代運輸通信大臣

中流階級を生んだ沿線文化

阪急グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の創業者小林一三と、東急グループの創業者五島慶太は、鉄道事業と文化事業を融合させ、今日の鉄道ビジネスモデルの基礎を築きました。

彼らの目指したものは、便利で環境の良い戸建住宅に暮らし、デパートで買い物を楽しんだり、映画や観劇を楽しむ新しいライフスタイルの創造です。

阪急、東急沿線から中流階級が生まれ、住民の“働く夫と専業主婦の妻と子供”という世帯構成は長らく日本の家族像の標準モデルとなりました。

小林一三のビジョン

アメリカの巨大コングロマリット ITTのCEO ハロルド・ジェニーン(1910-1997)は1985年に著した『プロフェッショナルマネジャー』で「経営はまず結論ありき」と主張します。

本を読む時は、初めから終わりへと読む。ビジネスの経営はそれとは逆だ。終わりから始めて、ここに到達するためにできる限りをするのだ

小林一三は、経営論のバイブルと言われる本書が発表される80年前に、この終わりから始める”経営手法を実践しています。

小林一三は、都市の発展を大きなゴール目標とし、鉄道を敷設し百貨店を開業することで都市の交通インフラや商業施設を整備し、人々の生活や経済活動を支援することを狙いとしました。小林にとって鉄道は、そのための手段に過ぎないのです。

また、宝塚歌劇団を設立するなど、文化事業にも注力し、文化的な活動を通じて人々の教養や感性を高めることで、社会全体の文化的レベルを向上させることを目指しました。

デパートの顧客層を変えた

1929年、小林は阪急百貨店を開業します。鉄道会社が百貨店を経営するのは世界で初めてです。

従来の百貨店は富裕層を対象としていましたが、小林一三は阪急沿線のサラリーマン層をターゲットにした中流層向けの百貨店を作りました。

梅田駅は都市の文化的な中心地としての役割を果たし、地域社会の活性化にも寄与しました。

田園都市構想と五島慶太

その頃、東京でも不動産開発の機運が高まります。

渋澤栄一(1840-1931)は、1918年に田園都市会社を設立し、田園調布や洗足に土地を購入しますが事業が一向に進展しません。

渋澤は、小林一三に助言を求めます。小林は、鉄道院出身の五島慶太を事業を担う人材として推挙します。

総延長320km 東急王国誕生

不毛の土地に住宅地を造り、移動手段として鉄道を敷設する事業が五島慶太に託されます。小林一三を師と仰ぐ五島慶太は、助言どおりに沿線を住宅地として分譲します。

わが鐵路、長大なり

五島は渋谷を拠点に西へと線路を拡張。総延長320kmを誇る成果を上げ、東急王国を築きます。積極的なM&Aで他の鉄道会社を吸収合併し、東京急行電鉄に統合します。

1932年には渋谷ー桜木町が開通。渋谷を一大ターミナルにする計画が進みます。1934年に東京の私鉄としては初の百貨店事業に進出し渋谷駅に直結した東横百貨店を開業します。

1936年には2万人を収容する八角形のデザインが印象的な田園コロシアムの建設。東映の前身である東横映画を設立するなど事業を拡大します。

時代を変えたイノベーター

小林一三と五島慶太は、ビジネスや文化の分野で新しい価値を創造するイノベーターであり、常に時代の流れに敏感で新しいアイデアを出して変化に対応する能力を持っていました。

2人は、鉄道や百貨店、映画会社など多様な事業を手がけ、社会や文化の発展に多大な貢献をし、イノベーターの先駆者としての地位を築きました。