虎ノ門で 420年の時をかける!

虎ノ門の歴史

虎の門のシンボル

今度は虎ノ門だよ。徘徊だなんて人聞きの悪い! 街歩きだよ。この元気なおばあが、せっかくあんたに面白い話を聞かせてやろうってのに、失礼だねぇ、まったく!

虎ノ門って聞くと、あんたたち、「お仕事する街でしょ?」なんて、面白くもなんともないこと言うんだろうねぇ。

昔は武士のお屋敷がいっぱいあったし、明治時代になったら、お偉い政治家さんが集まるようになったんだよ。今じゃあ、国の役所だの、デッカイ会社だのがズラリと並んで、新しいビルがニョキニョキ建って、これからもっとすごいことが始まるぞ!って、ウズウズしてるんだから。

今日はこの虎ノ門の街を、ちょいと昔に遡りながら、この元気おばあが案内してやろうじゃないか! 

よーく見てごらんよ、石碑だの、坂道だの、あっちこっちに、あんたたちがまだ知らない歴史の欠片が残ってるんだから!

そもそもね、「虎ノ門」っていう名前、あんたたち、なんでこんな名前なのか知ってるかい? 実は昔、江戸城には「虎ノ御門(とらのごもん)」っていう門があったんだよ。城の外と中をつなぐ、それはそれは大事な門だったんだ。

ところがね、明治時代になって、1873年には、あっけなく壊されちまったんだとさ。

今はもう、門の姿なんてどこにもないけど、銀座線の虎ノ門駅の8番出口の近くに、「虎ノ門遺址(いし)」って石碑があるんだ。

この石碑の前に立ってみるとね、「へぇ、ここにあの門があったのかい!」って、昔の江戸の空気がスーッと感じられるから、あんたも行ってみなよ。

江戸城の石垣が残ってるってんだから!

信じられるかい? あのデッカいビルが並ぶ虎ノ門の、なんと文部科学省の敷地の中に、実は江戸城のお堀の一部が、今もひっそり残ってるんだよ! 

これね、今から400年近く前の1636年に、三代将軍の徳川家光が作らせたんだってさ。

14kmも続く、それはもう長い石垣だったんだから!

この工事にはね、なんと全国の60ものお殿様たちが、駆り出されたんだ! 

家光公はね、お殿様たちに「あんたはこの場所の石垣を作んな!」って、場所を割り振って、自分たちのお金で石垣を作らせたんだとさ。これってね、ただ道を整備しただけじゃないんだよ。「幕府に逆らえないようにしてやる!」っていう、将軍様の賢い考えだったんだねぇ。

今の虎ノ門のすぐそばに、そんな昔の「お殿様を支配した跡」が残ってるってんだから、びっくりだろ? 

文科省の敷地の中に、こっそり公開されてるこの石垣、目立たないけど、実はとんでもなく大事な歴史の場所なんだからね!

日本で最初の法務大臣、そのお気の毒な話

1868年、時代が進んで明治時代になって、新しい政府ができたんだ。法律だの、お巡りさんの仕組みだのを、一生懸命作った中心人物が江藤新平って人さね。

この江藤新平さん、日本で初めての法務大臣みたいな役職に就いたんだよ。

でもねぇ、政治の世界ってのは、力があるだけじゃダメなんだねぇ。江藤さんは、お仲間との争いに負けちゃって、役職を追われちまったんだ。で、最後は自分の故郷、佐賀で、反乱を起こしちまうんだよ。

その後にね、逃げてる途中で捕まっちまうんだけど、皮肉なのは、自分が作った「指名手配写真」ってやつが、捕まるきっかけになっちまったってんだから! 

自分が作った仕組みで、自分が捕まるなんて、なんともお気の毒な話だけど、法律が力を持つようになった時代の、象徴みたいな出来事だねぇ。

読売新聞とプロ野球の、まさかのお話!

読売新聞って聞くと、今じゃあ、とんでもなくデッカい新聞社ってイメージだろ? でもね、その始まりは1874年、虎ノ門の片隅で、たった200部の新聞を刷ったことから始まったんだってさ!

関東大震災だの、いろんな大変なことがあって、新聞が出せなくなりそうになった時、あるとんでもない事件が、全部を変えちまったんだ。それが、1923年の虎ノ門事件さ!

当時の天皇様(昭和天皇のことだよ)が狙われちまうっていう、それはもう大事件が起きて、政府の偉い人たちがみんな辞めることになっちまったんだ。警備の責任者だった正力松太郎さんも、責任を取って辞めさせられちまったんだがね。

ところがね、この事件がきっかけで、正力さんは新聞の世界に飛び込むんだ! 

ボロボロだった読売新聞を立て直して、さらにその後に、あのプロ野球チーム、読売巨人軍を作ったんだから、すごいもんだねぇ! 

力道山の試合にみんな夢中になった、あの街頭テレビも、正力さんが頑張って普及させたんだよ!

もしこの虎ノ門事件がなかったら、日本の野球も、テレビも、今とは全然違うものになっていたかもしれないってんだから、面白いもんだねぇ!


あの高いビルがズラリと並ぶ虎ノ門の足元に、石碑だの、石垣だのがひっそり残ってる。

そこにはね、あんたたちが普段気にも留めないような、でも確かにそこにあった、日本の大きな「分かれ道」になった出来事たちが、静かに眠ってるんだよ。

どうだい、虎ノ門の街が、ちょっとは面白く見えてきたかい?

普段歩いてる街にも、面白い話がいっぱい隠れてるんだから、たまにはおばあと一緒に、ぶらぶら歩いてみるのもいいもんだよ。

アクセス
  

【虎ノ門遺址史跡】港区虎ノ門1-1-28

【江戸城外堀跡石垣】千代田区霞が関3-1-2

【江藤新平君遭難遺址碑】千代田区霞が関3-8-1

【新聞創刊の地】港区虎ノ門1−2-7

◯最寄り駅はすべて 東京メトロ銀座線「虎ノ門駅」

参考文献

山田風太郎『人間臨終図鑑』(徳間書店)