長瀬富郎(1863-1911)
花王創業者
清潔という文化の伝道者 長瀬富郎の生涯
衛生大国ニッポン、そのルーツに迫る
2020年。世界は、コロナウイルスという名の脅威に包まれていた。
見えない敵の侵攻が始まった。
人と人の距離が分断された。
欧米では医療崩壊が起き、街は封鎖された。
わかってきたことは清潔が生き延びる条件。
多くの命が失われていくなか、日本はどうだろう?
重症者も死者も少ない。
海外メディアが気が付いた。
そして、注目した。
「なぜ、日本人はこんなにも衛生観念が高いのか?」
手洗い、うがい、消毒――日本ではごく自然に人々が実践していた。
なぜ日本人はここまで“清潔”にこだわるのか?
いつから、この文化が根づいたのか?
その答えは、130年前。
東京・日本橋の一軒の小さな店にさかのぼる。
国産石鹸への執念
1888年、弱冠23歳で「長瀬商店」を創業した長瀬富郎。
当初は石鹸と文房具の卸売業を営んでいた。
ある日、取り扱う国産石鹸の品質に大きな疑問を抱く。
「泡が立たない。これじゃダメだ!私が作ろう!」
そう決めたその日から、長瀬富郎の“挑戦”が始まった。
調合技術を習得し、夜を徹した試作の連続。
やがて、ひとつの石鹸が生まれる。
それが、「花王石鹸」である。
“品質には、絶対の自信がある”
だが、それを伝える術が、まだなかった。
長瀬は動いた。
薬学の権威・高峰譲吉に品質証明を求める。
石鹸に証明書を巻き、桐の箱に収める。
石鹸そのものはもちろん包装も高品質を追求。
ここに純国産石鹸が誕生した。
誰もが知ってる月の顔
長瀬富郎の情熱は、石鹸の品質だけに留まらなかった。
宣伝にも並々ならぬ力を注ぐ。
新聞広告や巨大看板。
特に象徴的なのが、誰もが一度は目にしたことのあるあの「月の顔」のロゴマーク。
「美と清潔」の象徴として生まれた月の顔は、
やがて人々にこう言われるようになる。
「月のマークの石鹸なら、間違いない」
信頼のかたちを、日本人の暮らしの中に根づかせていった。
天佑は常に道を正して待つべし
しかし、運命は非情である。
長瀬は48歳という若さでこの世を去ってしまう。
だが、長瀬の哲学は、今も脈打っている。
「天佑は常に道を正して待つべし」
正しいことを、正しいやり方で続ける。いつか必ず報われると信じて。
花王の理念
長瀬の教えは、今も「花王ウェイ」という形で、花王グループの企業理念として深く根付いている。
花王ウェイ | |
使命 | 清潔で美しくすこやかな暮らしの実現 |
ビジョン | 消費者・顧客を最もよく知る企業 |
基本となる価値観 | よきモノづくり、絶えざる革新、正道を歩む |
行動原則 | 消費者起点、現場主義、個の尊重、グローバル視点 |
「清潔で美しくすこやかな暮らしの実現」という使命のもと「よきモノづくり」や「絶えざる革新」を大切にするその姿勢は、創業者の精神が脈々と生きている証なのだ。
人の暮らしは、見えない習慣でできている。
当たり前のように手を洗い、顔を洗う。
それは長瀬が48年の生涯を通じて「当たり前」にしてくれたものだ。
清潔という文化。
それは、一人の若者の情熱から始まった。