花森安治(1911-1978)
『暮らしの手帖』創刊者、グラフィックデザイナー、コピーライター
花森安治と情熱の編集部
花森安治 型破りな編集長
1948年
一冊の雑誌が産声を上げた。
それは、暮らしのために生まれた雑誌。
その名も『暮しの手帖』
誰もが豊かに生きたいと願った時代、
一人の編集者が、雑誌で日本を変えようとしていた。
その編集者の名は花森安治。
戦後、花森は悔いた。
「こんな日本にしたのは、私の責任だ。だから、今度は暮しを立て直す雑誌を作る。」
戦時中、プロバガンダに加担した自責の念が、安治を動かした。
花森安治は大橋鎭子とともに、一冊の雑誌を創刊。
広告を載せない。媚びない。権威に屈しない。
もう一度いおう。その雑誌の名は『暮しの手帖』。
伝説の「商品テスト」
「私たちが目を光らせなければ、誰が暮らしを守るのか」
日本の出版史に残る「商品テスト」。
広告を載せず、すべて企業名を挙げて商品を査定する企画特集。
花森たちは、商品を研究室で分解し、実験し、何日時には数年かけて性能を調べた。
電気釜、洗濯機、ベビーカー、スチームアイロン。
すべて自分たちの手で使い、試す。
ベビーカーのテストでは100kmの道を押して歩いたという。
ダメな製品には、容赦なく「愚劣!」の烙印。
その徹底ぶりは、やがて世論を動かし、企業のモノづくりそのものの根底を変えていく。
商品テストは、企業のためでもある
花森は、メーカーに叱咤と期待を込めた。
モノを売る責任、命を預かる責任。その根っこを問うたのだ。
商品テストは消費者のためにあるのではない。
暮しの手帖 第100号
メーカーは花森の期待に応えた!
花森の情熱と粘りに反応した!
「花森さん、これなら消費者に喜んでもらえるでしょう。もう“愚劣”なんて言わせませんよ」
1972年、スチームアイロンのテストでは、酷評された国産メーカーが、改良を重ね、欧米製を超えると評価された。
メイドインジャパン。
商品テストは、日本の製造業を育てる土壌ともなった。
表紙に込めた「美」
編集者でありながら、デザイナーでもあった花森安治。
花森は、毎号の表紙を自ら描いた。
そのどれもが柔らかく、温かく、品があった。
「雑誌の表紙は顔。美しくなければいけない。」
人に寄り添い芯を貫く。これが花森ダンディズムだ!
灯りをともす言葉
広告を載せず、企業に忖度せず、
読者にも甘えず。
それでも最大100万部を超える国民的雑誌に成長。
花森は、雑誌という表現手段で、
「ただ生きる」のではなく、
「どう生きるか」を問うた。
1978年、花森安治はこの世を去る。
あの商品テストの舞台 暮らしの手帖研究室の祭壇は花で埋められた。
机、椅子も生前のまま。
机上には、いつ花森が帰ってきてもいいように削った鉛筆が並べられた。
戦中、無責任な言葉を書いた自分を許せなかったからこそ、
生涯、責任ある言葉で最後まで書き続けた。
時代が変わり、価値観が変わっても、
本当に良いものとは何かを問い続けた男。
花森安治
暮しのために、生涯を捧げた編集者である。
- 花森安治『灯りをともす言葉』(河出書房新社)
- 酒井寛『花森安治の仕事』(暮らしの手帖社)
- 津野梅太郎『評伝花森安治』(新潮社)
- 山田風太郎『人間臨終図鑑』(徳間書店)