ハワード・シュルツ(1953〜)
スターバックスコーヒー名誉会長
スターバックスコーヒーの50年
2021年、スターバックスコーヒーは誕生から50周年、日本に進出し25年を迎えます。スターバックスの原点は、イタリアのカフェ文化です。1983年、役員であったハワードシュルツは、イタリアで体験したバール(エスプレッソバー)の雰囲気と、深煎りのエスプレッソに大きな衝撃を受け、エスプレッソに潜在的需要の可能性を確信します。
シュルツはイタリアのエスプレッソ系飲料を主軸にする戦略の実施を幹部に進言しますが退けられます。諦めきれないシュルツは、別会社「イル・ジョルナーレ」を興し成功し、スターバックスコーヒーを友好的に買収しました。
アメリカでは当時コーヒー1杯の価格は80セント前後です。しかも業界自体が成熟産業であり、低価格で勝負するしかない事業的には魅力のない分野です。コーヒーの主流は浅煎りの酸味の強いコーヒです。エスプレッソを愛飲する消費者は少数派です。しかしスターバックスコーヒーは、その倍の値段で売って成功します。
スターバックスの体験戦略
スターバックスコーヒーは、なぜ人々の支持を得たのでしょうか?
人には物事や人物に接した時に、自分が最初に受けた印象・情報・数字を基準にして、“良いか?悪いか?”、“高いか?安いか?”を比較判断する行動心理があります。
この心の中の基準値は、船の錨のように重く動かないので「アンカー」と呼ばれます。ある印象・情報・数字が人の心に残り、その後の判断に影響を及ぼすことを「アンカリング効果」といいます。
スターバックスコーヒーは、価格ではなく雰囲気で他のコーヒーショップとは一線を画すことに注力します。
小売店やレストランでは
顧客がどのような体験をするかで
すべてが決まる。
人間心理を熟知しているハワード・シュルツは、人の心の中に、店舗空間での“心地よい体験”を、アンカーとして刷り込むためにイタリアで出会ったバールの雰囲気を再現するための構想を練ります。
スターバックスコーヒーでは、店舗を「家庭でもオフィスでもないサードプレイス」と位置付けています。ハワード・シュルツのこだわりは、店舗に入った瞬間に“スターバックス体験”が始まることです。
店内には、煎りたての豆の薫りが漂い、ケースには見栄えのするペストリー、ケーキを並びます。スモール、ミディアム、ラージというドリンクサイズに慣れた人々はショート・トール・グランデという耳慣れないドリンクサイズに衝撃を受けます。
カフェラテ、マキアート、フラペチーノと、おしゃれな名称のエスプレッソ系のコーヒーと店内の雰囲気は、アメリカ人の持つ“安価な浅煎りのコーヒーに砂糖やミルクを入れて飲む“という固定観念を覆す強力なアンカリング効果となりました。
他店とは、かけ離れた体験をすることでアメリカの消費者は、価格をアンカーに使わずに、スターバックスコーヒーが用意した、まったく新しいアンカーを、スムーズに受け入れました。
世界進出の一歩となった東京1号店
1996年8月2日、スターバックスコーヒーは、海外1号店を東京・銀座にオープンさせます。コーヒーの価格は1杯250円。既存のコーヒーショップと比べて高い価格設定です。
日本の消費者も他のコーヒーショップの価格をアンカーにせず、心地よいソファや照明など他店とは一線を画した高級感に価値を感じ、この第一印象をアメリカの人々と同様にアンカーにしました。大手チェーン店と個人経営の喫茶店が林立する競争下での日本での成功は、世界進出の大きな一歩となります。
ハワード・シュルツの夢の実現
ミラノでの出店で、スターバックスの原点に返ってきた。
イタリア進出時の言葉
2018年9月。スターバックスは、エスプレッソの本場イタリアに進出しました。エスプレッソの本場であるイタリアへの出店はハワード・シュルツが創業当初から描いてきた夢です。
バールが15万店近くもあり、大型コーヒーチェーンが参入する余地がないと言われてきたエスプレッソの本場で、アメリカ流のエスプレッソコーヒーは通用するのでしょうか?イタリア人には「バール文化」という生活様式が強力なアンカーとなっています。価格もエスプレッソ・コーヒー1杯1.80ユーロと高めの価格です。
イタリア1号店となるミラノ店は、「今まで体験したことがないコーヒーの世界を存分に味わってもらえる空間」をコンセプトにした、シアトル・上海・東京でも展開している、高級店舗「スターバックスリザーブロースタリー」です。
郵便局として市民に親しまれてきた歴史的建造物を改装し、イタリア人の習慣に合わせ、軽食やアルコール類も提供し、通常のスタバの店舗とは全く違った雰囲気を演出します。
店内には焙煎設備を併設し、コーヒー豆からコーヒーになるまでの過程を実際に目にして、コーヒーに対する知識を深め、コーヒーを味わうことができます。ここミラノでも他国で成功を収めた「体験」を重視しています。
エスプレッソの本場、ミラノでの成功
オープン以来、スターバックスはイタリアの人々にスターバックスの体験は、大きなインパクトを与え、ミラノの街に新たに3店舗をオープンさせました。
いまイタリアの人々に、“スターバックス”という今までとは異なる“コーヒー体験”が根付きつつあります。
- ハワード・シュルツ『スターバックス成功物語 』(日経BP社)
- ダン・アリエリー『予想どおりに不合理: 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』(早川書房)
- リチャード・セイラー『実践 行動経済学』(日経BP社)
- 日本経済新聞記事(2018年9月)ほか