2万8000店のコーヒーチェーン スターバックスを築いたハワード・シュルツの夢

ハワード・シュルツ

ハワード・シュルツ(1953〜)

スターバックスコーヒー名誉会長

一杯のエスプレッソの衝撃

コーヒーの香り、心地よい照明、独りもよし、誰かと話しすもよし──。

そこは、ある男が「夢」と「信念」だけで切り拓いた場所だった。

「家庭でも職場でもない、第3の場所をつくる」


そう語った男の挑戦は、1980年代のミラノから始まった。

1983年、イタリア・ミラノ。

ハワード・シュルツは、バールで一杯のエスプレッソを堪能した。

バールとは、立ち飲みのカフェ。

バリスタが語り、笑い、客と向き合うバールの空気。
そこには、人のぬくもりがあった。

「これだ。コーヒーが人をつなげる“場所”になる」

アメリカに戻った彼は、すぐさま当時のスターバックス経営陣に提案。
しかし返ってきたのは、冷たい答えだった。

「エスプレッソバー? ハワード それ、ウチには合わないよ」

夢を諦めなかった男

諦めなかった。

シュルツは諦めなかった。

シュルツは自らの会社 イル・ジョルナーレを立ち上げた。

評判はすぐに広がった。店は人を惹きつけた。

ついに彼は、逆転の一手を打つ。スターバックスを、友好的買収。

値段ではない、“体験”を売れ

アメリカでは、コーヒー1杯80セントが相場。
シュルツが売ったのは、その倍の値段

だが、誰もがそこに集まった。

それは、“コーヒーを飲む”ためではなく、
い「自分らし時間」を過ごすため。

接客、香り、照明、音楽──。

すべてが、「だれかの居場所」をつくるために設計されていた。

「家庭でも職場でもない、サードプレイスをつくる」

その哲学が、世界中に共感を呼ぶことになる。

世界進出の1号店、それは東京

1996年8月。

スターバックスが初の海外進出先に選んだのは日本。東京 銀座

当時の日本で、コーヒー1杯250円は高価だった。

日本側のパートナーは、サザビーグループの角田雄二 鈴木陸三兄弟。

日本のフードビジネス界の裏も表も、顧客心理もすべてを知り尽くした角田は、こう答えた。

「ミスターシュルツ、日本人も、価格より体験や雰囲気を大事にするはずです。必ず成功させます」

銀座1号店は、予想を超える行列でスタートを切る。

この成功が、世界進出の扉を開けた。

原点への凱旋 ~ミラノ、再び~

2018年9月。
シュルツは再びミラノの地を踏んだ。

今度は“挑戦者”ではなく、“成功者“として恩返しの心で。

オープンしたのは、スターバックス リザーブ ロースタリー。

原点であるイタリアの地に、全く新しいコーヒー文化を持ち込んだ。

ミラノの空に、再び香り高いコーヒーの蒸気が立ちのぼった。

世界は、変えられる

ハワード・シュルツの成功物語は、

単なる“起業ストーリー”ではない。

夢を信じる強さ
文化を愛するまなざし

スターバックスは、コーヒーを売ったのではない。
「あなただけも時間」を届けた。

いま、世界のどこかで。
緑のロゴの下、また誰かが、自分に還る時間を過ごしている──。

参考文献
  • ハワード・シュルツ『スターバックス成功物語 』(日経BP社