地下鉄の父 Vs.鉄道王 虎ノ門地下鉄開通物語

2つの会社が経営していた銀座線

東京メトロの銀座線は、虎ノ門を走る日本最古の地下鉄路線です。1939年に浅草から渋谷まで全線開通し、もうすぐ85年の歴史を迎えます。

当時、浅草から新橋間と渋谷から新橋間は別々の会社が経営していました。上野から新橋までの8 kmの路線は、地下鉄の父と呼ばれる早川徳次(1881-1942)が経営する東京地下鉄道が運営し、1927年に日本で最初の地下鉄が浅草から上野間に開通し、1934年には上野から新橋までの路線が開通しました。

一方、渋谷から新橋までの路線は、鉄道王として知られる五島慶太(1882-1959)が設立した東京高速鉄道が運営していました。

渋谷駅のホームが東急百貨店東横店の3階にあった理由は、地形的な問題と東急系列の東京高速鉄道の駅だったためです。

渋谷は「谷」に位置し、表参道の「山」に位置する駅からトンネルを掘ると東急百貨店東横店の3階の高さになるため、東急は渋谷駅を東急百貨店東横店に作ることで、百貨店の集客に成功しました。

1938年11月18日に、東急の拠点、渋谷駅から官庁ビジネス街の虎ノ門駅までの区間が開通し、さらに1939年1月15日には虎ノ門から新橋までの延伸が行われ、渋谷から新橋までの6.3kmが開通しました。

虎ノ門駅の隣 新橋駅を巡り大バトル

当時、五島慶太は渋谷から官庁ビジネス街の虎ノ門を経由して東京地下鉄道が建設した路線に乗り入れ、銀座・日本橋を経由して当時の娯楽の拠点であった浅草への直通運転を目指していました。

しかし、早川徳次はこの提案を却下し、新橋から芝を経て品川までの延伸を計画していました。両者の意見が対立し、虎ノ門駅の隣の新橋駅で地下鉄の主導権を巡る地下鉄の父と鉄道王の壮絶なバトルが勃発します。

五島慶太は東京地下鉄道の株式買収に乗り出し、政財界を巻き込んだ抗争が展開されました。結局、五島慶太は東京地下鉄道の大株主を説得し、株式を取得することに成功しました。

これにより、東京地下鉄道は東急の傘下に入り、路線は一本化されることになり、早川徳次は地下鉄事業から手を引くことになりました。

そして、新橋駅には別々の路線が一本化されたために使われなくなったホームが幻のホームとして残されています。

その後、1937年7月7日に盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が勃発し、日本は戦時体制に入りました。結果として鉄道会社は国家に統制され、東京地下鉄道と東京高速鉄道は1941年7月に帝都高速度交通営団に譲渡されました。

虎ノ門ヒルズ駅開業と虎ノ門の再開発

時が流れ、2020年6月6日に日比谷線に虎ノ門ヒルズ駅が開業しました。虎ノ門ヒルズ駅の開業は虎ノ門ヒルズビジネスタワーや東京虎ノ門グローバルスクエアのオープンに伴う利便性向上が目的です。

1964年の東京オリンピックに合わせて全線が開通した日比谷線は1957年に近隣都市の人口増加による混雑緩和のために、計画されました。輸送力増強と混雑緩和の切り札は、当時としては画期的な、東西で地上を走る東武伊勢崎線と東急東横線に乗り入れる相互直通運転運転方式です。

奇しくも、北千住から東を結ぶ東武伊勢崎線は、地下鉄の父 早川徳次が鉄道経営を学んだ東武鉄道の根津嘉一郎(1860-1940)が敷設した鉄道です。一方、中目黒から西を結ぶ東急東横線は、早川と対立した鉄道王 五島慶太が敷設した鉄道です。

いま虎ノ門では駅周辺の再開発が急ピッチで進んでいます。

2023年7月には虎ノ門ヒルズ駅前に49階建て、高さ約265mの超高層タワー 虎ノ門ヒルズ ステーションタワーが完成する予定です。虎ノ門駅前では東京虎ノ門グローバルスクエアの隣接地に2026年の完成を目指し、高さ180mの再開発ビルが計画されています。

アクセス
 

【虎ノ門駅】港区虎ノ門1-1-21

【虎ノ門ヒルズ駅】港区虎ノ門1-22-12