小倉昌男(1924-2005)
ヤマト運輸名誉会長(最終職)
ブルーオーシャンに隠された宝物
ねーねー、みんな! ヤマトの宅急便って、当たり前すぎて空気みたいな存在になってない?
でもね、実はこの超便利なサービスには超アツい逆転劇があるの。
2026年にもう50周年を迎える宅急便。実は順調にイケてた会社がさ、1960年代半ばに急に時代に乗り遅れて、ライバルにめっちゃ差をつけられちゃったの!
マジで崖っぷちじゃん?!
そんな時、当時の社長、小倉昌男さんが決断を下すんだ。「これからは、個人の家から荷物を運ぶビジネスに全集中する!」ってさ!
普通じゃ考えられない、誰も足を踏み入れてないブルーオーシャン市場に、まさかの大挑戦だよ!
確かにブルーオーシャンだけどね
そりゃ、誰もいないブルーオーシャンのはずだよ。それはね、とにかくめんどくさい仕事だからなの!
個人の荷物運送って「ありえない」って言われたの。
- いつどこの家から「荷物送りたいんですけど~」って電話くるか分かんないしぃ
- 荷物を届ける場所も、一軒一軒バラバラじゃん
- 集めに行くのも届けるのも、いちいちピンポンして回らなきゃいけないし。
- しかもさ、お届けに行ったのに留守とかマジで萎えるよね? 再配達とか手間すぎ!
こんなん絶対赤字になるに決まってるじゃん?! だから、「民間企業にはムリでしょ、郵便局みたいに国がやる事業でしょ」ってのが当時の運送業界の常識だったんだって。
小倉さんは、自分の本『経営学』の中で、企業相手のデカい荷物を運ぶのは「大きな枡で豆を運ぶ」ようなもんだけど、個人宅配は「一面に散らばった豆を一粒ずつ拾う」ようなもんだって言ってるの。
想像しただけで気が遠くなる作業だよ、小倉さん!
「翌日配達」への執念がハンパないんですけど
それでも小倉さんは諦めなかったの! 郵便局のサービスに不満持ってるお客さんは絶対いるはず!
「もっと早く届けられたら、みんなが喜んでくれる」って思ったんだって。
小倉さんが目をつけたのが、当時としては超画期的な翌日配達だったの!
デカい郵便局に勝つには、スピードで圧倒的に差をつけるしかない!って確信したんだよ。
翌日配達を実現するには、ヤマト運輸が自社で全国に物流ネットワークを築く必要があったんだけど、そこにデカい壁が立ちはだかるの!
国の法律とか規制とか、マジでウザいよね?
小倉さんは当時の郵政省とか運輸省とかいう「お役所」と、規制緩和を巡って超激しいバトルを繰り広げたんだって!
この戦いは、日本の経営史に残るくらい有名なエピソードとして語り継がれてるんだから、もうリスペクトしかありません!
シンプルが一番!料金システムが神すぎ!
これまでの運送業界の料金って、複雑で意味不明だったらしいの。でも、宅急便は違った! 運転手さんはもちろん、コンビニのバイトくんまで、誰でもパッと計算できるような、超分かりやすい料金システムを導入したの。
さらに、日本を9つの地域に分けて「この地域からこの地域までなら、どんなに遠くても一律この料金!」っていう「地帯別均一料金」を導入! これがまた「分かりやすーい!」って大好評だったんだって! やっぱシンプルイズベストだよね!うーん
逆境を乗り越えたら、栄光が待ってたストーリー
宅急便の翌日配達は、当時の郵便小包よりもマジで爆速!お客さんの心にスゴいインパクトを残したのよ。
小倉昌男さんは、自分の本『経営学』の中で、宅急便が成功した一番の理由として、「サービスの差別化」(他にない翌日配達!)と利用者の口コミ」(宅急便ってマジですごいよ!」って、みんなが勝手に広めてくれた!)っていう、マーケティングの超基本を徹底したからだって言ってるの!
当時はネットとかなかったから、まさに「口づて」で評判が広がっていったんだね!
あとね、地域に密着したセールスドライバーさんがお客さんと直接おしゃべりすることで、信頼関係が生まれたことも、成功の要因だったみたい!
ドライバーさんは、運転が専門だから最初は嫌がっていたけど、やる気ががぜん上がったんだって。仕事に誇りを持つようになったの
たった11個の荷物から始まった宅急便は、今や私たちの生活に欠かせない存在になってるじゃん?
約6万人ものセールスドライバーさんが、年間で約17.9億個もの荷物を届けてくれてるんだって! もう感謝しかないよね!
- 小倉昌男『経営学』(日経BP社)
- 小倉昌男『経営はロマンだ!』(日本経済出版)