小倉昌男(1924-2005)
ヤマト運輸名誉会長(最終職)
ライバルは国家 郵政への挑戦!
『宅急便』は1976年1月20日に誕生し、2021年には45周年を迎えました。ヤマト運輸は、1919年にはわずか4台のトラックを保有する運送会社からスタートしました。創業11年目には、日本初の路線事業を開始しました。
1960年代半ばからヤマト運輸は市場の変化に対応できずに衰退が始まりました。当時、大口の商業貨物市場において同業他社に遅れを取り、大きく差を付けられてしまいました。そこで、社長の小倉昌男は窮地に立たされながらも、個人宅配市場への転換を決断しました。
個人宅配は、当時の運輸業界の標準的なビジネスモデルとは異なり、効率的で収益率の高い大口の商用貨物事業とは対照的でした。
小口の個人向け宅配は、どの家庭からいつ荷物を送る注文が出るかはわかりません。配送先も家庭ごとにばらばらです。宅配業者は荷物の集荷に一軒一軒に訪問します。時には受取主が不在の時もあります。集荷・配達に手間がかかり採算が合わず、「絶対に赤字になる」 と「民間会社では事業化できない」というのが業界の常識でした。
個人宅配を可能にするのは、全国に郵便局というネットワークを築き、採算を気にする必要がない国家の郵政事業のみという時代です。
小倉昌男は、著者『経営学』の中で商用貨物事業と個人向け宅配事業を次のように例えています。
商用貨物事業
一升枡のような大きな枡を持って工場に行き、豆を枡に一杯に盛り、枡ごと運ぶようなものである
個人宅配事業
一面にぶちまけてある豆を、一粒一粒拾うことから仕事が始まるのである
小倉昌男は、郵便局に対抗するために「翌日配達」を実現することに照準を絞ります。消費者が、郵便局のサービスが不満であることを理解し、消費者の要望に応えるために『宅急便』を発想したのです。
最大の競合相手は国家事業の郵便局です。巨大な相手に決定的な差をつけるための戦略が始まります。
「翌日配達」を実現するために
ヤマト運輸は『翌日配達』を実現するために、郵便局を凌駕する物流ネットワークづくりに取り組みました。小倉昌男は、「官」(郵政省、運輸省)との規制緩和を巡る交渉を行い、この攻防戦は日本の経営史上に残る伝説となりました。
まず、運輸業界の慣習だった複雑な料金体系を改善しました。一般の消費者から運転以外の業務に従事するドライバーやコンビニのアルバイト学生まで、誰もが簡単に料金を計算できるような料金体系を導入しました。
さらに、日本を9つの地域に分けた「地域別均一料金」を導入することで、よりわかりやすい料金体系を実現しました。
ヤマト運輸は、個人宅配市場をゼロから創り上げました。電話1本で荷物を集荷に赴き、近所のお店に荷物の受付窓口を設けるなど、郵便局の独占市場に風穴を開けました。『宅急便』の翌日配達は、当時の郵便小包よりも早い配達を実現し、消費者の脳裏に鮮烈な印象を刻みます。
ヤマト運輸は『翌日配達』を実現するために、郵便局を凌駕する物流ネットワークづくりに取り組みます。小倉と「官」(郵政省、運輸省)との規制緩和を巡るこの間の攻防は、日本の経営史上に残る伝説となっています。
小倉昌男は、運輸業界の長年の慣習である複雑な料金体系を改善します。消費者はもちろん、運転以外の業務には不慣れなドライバーからコンビニのアルバイト学生に至るまで簡単に計算できる料金体系を実現しました。配達区域を、東北・関東・信越・北陸・中部・関西・中国・四国・九州の 9 つに分けた「地帯別均一料金」の導入です。
ゼロから創り上げた市場
小倉昌男は、個人宅配市場をゼロから創り上げました。電話1本で荷物を集荷に赴き、近所のお店に荷物の受付窓口を設けるなど、郵便局の独占市場に風穴を開けました。
『宅急便』の翌日配達は、当時の郵便小包よりも早い配達を実現し、消費者の脳裏に鮮烈な印象を刻みます。
郵便小包は、早くて3日目、普通は4、5日かかることも 珍しくはなかった。だから宅急便の翌日配達は、利用者に鮮やかな印象を与えたし、それが口コミにつながった。
小倉昌男『経営学』(日経BP社)
小倉昌男は『経営学』の中で、「サービスの差別化」と「利用者の口コミ」というマーケティングの基本に徹したことが『宅急便』が成功した最大の要因だと語っています。当時は、ネットのない時代ですから、文字どおり口づてによる口コミです。
また、地域に密着したセールスドライバーと消費者とのコミュニケーションも成功の要因となりました。
ヤマト運輸の『宅急便』事業は、業界の常識に立ち向かい、新規事業の成功モデルとなりました。同業他社が個人宅配事業に参入し始めた後も、ヤマト運輸のサービス品質には敵わず、競合他社の多くが撤退する結果となりました。
ヤマト運輸は消費者の生活スタイルや嗜好に敏感に対応し、クール宅急便やゴルフ宅急便などを展開することで市場を拡大しています。
11個の荷物からスタートした『宅急便』は、私たちの生活になくてはならぬ存在となり、約60,000名のセールスドライバーが年間約17.9億個の荷物を届けています。
- 小倉昌男『経営学』(日経BP社)
- 小倉昌男『経営はロマンだ!』(日本経済出版)
- 中田伸哉『宅急便を創った男 小倉昌男さんのマーケティング力』(白桃出版)