ファンの心に刻まれた「健さん」。60年代「東映」の差別化戦略とは

死んで貰います

60年代「映画」VS「テレビ」

伝説のスター、高倉健

名優、高倉健が亡くなって5年近くが経過します。

高倉健が日本映画界最大のヒーローとして、多くの映画ファンの心を掴んだ背景には、東映がテレビに対抗し映画の世界で生き残るために実施した緻密なマーケティング戦略がありました。

映画館に来るお客様を大事にせなあかん!」
〜セグメンテーション〜

1960年代、テレビの台頭がこれまで娯楽の王様だった映画産業に大打撃を与えました。

さらに追い討ちをかけるように、東映ではテレビの影響だけでなく看板だった「時代劇路線」にもかげりが生じます。

それまでの「ご家族揃って東映映画」を標榜していた東映の岡田茂ら首脳陣は、大幅な路線改革を迫られます。

東映は、まず映画館を訪れる観客を年齢・性別などで分類し仕分けをする『セグメンテーション』を行いました。

その結果わかった事は、「女性」「子供」「高齢者」はすでにテレビに流れていて、映画館に残ったのは「学生層」と「30代以上の男性」でした

映画館に残った層
男性 10代 20代 30代 40代 50代 60代
女性 10代 20代 30代 40代 50代 60代

テレビに流れたお客さんは戻らんで」
〜ターゲティング〜

東映はテレビとの競争を避けるために、「テレビの視聴層」「映画の観客層」をはっきりと分けます。

テレビに流れない「学生層」30代以上の男性」にターゲティングを設定しターゲットの心に突き刺さるテーマを模索します。

ターゲティング

「よっしゃ新しいテーマで勝負や!」
~ポジションニング~

「泣く、笑う、手に汗握る」3要素を盛り込むことが東映映画の伝統でありウリでした。

東映はそこに新たに「覗く」という要素を加えました。人間には好奇心があるからです。

そこで目を付けたのは、日常では覗くことができない「任侠の世界」です。

当時のテレビでは放送できないテーマです。東映は不良感度路線」というポジショニングで、60年代の邦画界を席捲します

東映のウリ

スター誕生

ターゲットの心に刻まれた高倉健

「不良感度路線」という「新しいポジショニング」の中核を担ったのが、実力がありながら役柄に恵まれず低迷が続いた『高倉健』です。

敵の理不尽な振る舞いにひたすら耐え抜き、ついに勘忍袋の緒が切れ、敵対する一家に殴り込むアウトロー。高倉健が扮する不器用で真っ直ぐな主人公の姿がファンの心の琴線に触れました。

組織内での競争や人間関係に疲弊するサラリーマン、学生運動に身を投じる大学生たちはスクリーンに投影される高倉健や池部良、鶴田浩二らのドスを振り回す姿に熱狂しました。

ターゲットの心理

映画で得られる「疑似体験」

『昭和残侠伝』『網走番外地』シリーズなどが上映される東映の映画館は、観客が映画を観るだけでなくアウトローの世界を擬似体験」できる空間でした。映画を観終わった後に思わず肩で風切る健さんスタイルになるファンの姿は今も語り草になっています。

戦わずして勝った差別化戦略

東映の新路線を支える豊富な人材

豊富な人材が「不良感度路線」を支えます。

鶴田浩二・高倉健・藤(富司)純子・池部良・若山富三郎・菅原文太ら映画史に名を刻む俳優陣。

岡田茂、俊藤浩滋ら人望と才覚を兼ね備えた情熱溢れる経営陣。

プロデューサー、マキノ雅弘・内田吐夢ら巨匠クラスから深作欣二、中島貞夫らの新人監督たち。

東映の新路線を支える人たち

彼らがそれぞれの立ち位置で、それぞれの強みを発揮し、熱い活動屋魂を結集。東映の映画館でしか観ることができない独自の東映ワールド」を、観客の心に刻み付けます。

東映から離れた人達

一方で新路線に馴染めないスターと時代劇の黄金期を支えたスタッフたちは、敵地であるテレビの世界に新天地を求めました。

彼らは映画のスクリーンで培ったノウハウを、テレビのブラウン管に生かし、家族揃って愉しめる数多くの人気長寿時代劇を生み出します。

更に進む東映の独自路線

東映は「任侠路線」に続き、大奥もの」くノ一もの」で、お色気を織り交ぜたより強い刺激で観客にアピールします。

一方、ライバルの東宝による「コメディ路線」や「青春路線」、松竹の「文芸物」や「ホームドラマ」は、テレビドラマのテーマと被り苦戦を強いられました。

東映は『高倉健』という不世出のスターを柱に競争を避け、不良感度路線」という独自のポジショニングで、台頭するテレビや競合する他社との差別化を行い、1963年から1970年代初頭まで邦画界でのトップの座に君臨しました。

スクリーンでは血みどろの抗争を描いた東映ですが、東映が取った戦略は、テレビとライバルの映画会社が激しい戦いを繰り広げる中、競争を避け独自の価値を訴求した「ブルーオーシャン戦略」の先駆けでした。

参考資料

岡田茂「悔いなきわが映画人生 東映と共に歩んだ50年」(財界研究所)

春日太一「あかんやつら東映京都撮影所血風録」(文藝春秋)

W・チャン・キム、レネ・モボルチュ「ブルー・オーシャン戦略」(ランダムハウス講談社)

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