“財界総理”石坂泰三の慧眼 「新時代の夜明けを開くマーケティング」

石坂泰三

石坂泰三(いしざか たいぞう)
実業家・第2代経済団体連合会(経団連)会長
生年月日:1886年(明治19年)6月3日
死去:1975年(昭和50年)3月6日)

財界総理と謳われた男

経団連会長として4期12年に渡り辣腕を振るい“財界総理”と謳われ政界にも強い影響力を及ぼし、日本の繁栄に貢献した石坂泰三。東京五輪、大阪万博の開催にも尽力、日本の高度経済成長時代の中心人物として活躍しました。

マッカーサーを跳ね除ける胆力

昭和20年9月15日正午、GHQにより接収された第一生命館。当時、第一生命社長であった石坂の使っていた社長室をマッカーサーが引き継いで使いました。

マッカーサーはこの立派な建物の主人であった石坂に会ってみたいと出頭命令に近い要請を出しましたが、石坂は「俺は行かねえよ。用があるなら、こっちに来ればいいんだ」と要請を断ったというエピソードが残っています。

戦後、公職追放された石坂泰三は浪人でしたが、追放が解かれた後、昭和24年より名門・東芝の社長に就任し、再建に尽力。その手腕と実績で財界の重鎮となります。

マーケティングを必要とする時代へ

昭和30年。自由民主党と日本社会党による“55年体制”が確立された年。
日本にとっては戦後復興と朝鮮戦争の軍需景気に頼らず、独自に経済成長をしていかなければならない新しい時代の入り口を迎えます。

第一生命館の接収からちょうど10年後の昭和30年9月、石坂泰三が会長を務める日本生産性本部は“トップマネージメント視察団”を立ち上げ、自ら団長としてアメリカの産業界を視察に向かいます。

アメリカをつぶさに視察した石坂は「アメリカの企業は顧客を大事に考えている。これからの日本はマーケティングが重要になってくる」と帰国後にコメントします。

石坂のコメントに呼応した産業界は、直ちにマーケティングを研究します。

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